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東京高等裁判所 昭和46年(う)3457号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人井出甲子太郎提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し、記録を精査し、かつ、当審における事実の取調の結果を参酌して、次のとおり判断する。

所論は、原判決が被告人は対面信号機が赤色の停止信号を示していたのであるから同交差点の直前で停止すべき注意義務があるのにこれに気づかず時速約三五キロメートルで進行した過失により云々と認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるというのである。

まず、一件記録に当審における事実の取調の結果を合わせて考えてみると、証拠上動かし難い客観的事実として、本件の交差点は新川交差点方面(西)から鳥山方面(東)に通ずる概ね歩車道の区別のある車道幅員約八メートルないし一〇メートルの道路と、牟礼方面(北)から中原方面(南)に通ずる歩車道の区別のない幅員約六メートルないし七メートルの道路とが交わる信号機によつて交通整理が行なわれている交差点であること、信号機のサイクルは東西は青二七秒、黄三秒、赤二八秒、南北のそれは青二五秒、黄三秒、赤三〇秒であること、原判示の日時被告人の運転する大型乗用自動車(バス)が東進してきて左方から南進してきた山本英史(原判決に英央とあるのは英史の誤記であると認める。)の運転する普通乗用自動車と交差点の西側端から東へ約一五メートルの線と交差点の北側端から南へ約九メートルの線とが交わる地点である。)で出合い頭に衝突したこと、そして交差点の東側端から東へ約二十メートルの道路の南側にバスの停留所が設けられていることがそれぞれ認められる。

そこで、被告人の運転するバスが右交差点に進入する際対面信号が赤色を示していたかどうかを検討するのに、この点に関しバスの乗客の一人である原審証人水津冬子は衝突してしばらくして信号を見たら南北の信号が青であつたというのみであつて、しばらくというのが何秒であるか全く確定しがたいのでとうていこれを認定の根拠とすることはできない。次に原審証人山本英史の供述と同人の検証現場における指示によると、同人は普通乗用自動車を運転し時速約三〇キロメートルで南進してきて交差点の手前約七〇メートルの所で信号が赤であつたので約二〇キロメートルに減速して進行し、交差点の手前約三〇メートルの地点で信号が青に変わつたので再び約三〇キロメートル毎時に加速して交差点に進入したところ、右方からバスが突つこんできたので左に転把してさけようとしたが交差点内で衝突したというのである。しかしながら、これによると、同人は衝突前約三九メートル(交差点入口までの距離約三〇メートルと交差点内の走行距離約九メートル)を時速約三〇キロメートルで青信号に従つて進行したことになり、その所要時間は約4.8秒となるところ、被告人の運転するバスの速度は原判示のとおり毎時三五キロメートルであつたと認められるから、これによつてその間の走行距離を求めると約46.5メートルとなり、そうすると、被告人車が交差点入口の横断歩道の手前約三二メートルの地点にあつた時にすでに信号が赤色に変つていたということになつて、明らかに他の証拠(特に後記証人高橋司郎の供述)と符合しないことになる。したがつてこれもまた採用するわけにはいかない。これに反し、原審証人高橋司郎はタクシーの運転手で本件に利害関係をもたない単なる目撃者であるからその供述は信用性が高いとみられるところ、同人の証言と同人の検証現場における指示ならびに検証の結果によると、同人は時速約五〇キロメートルで烏山方面から右交差点に向かつて進行してきたところ、バス停留所の手前で信号が黄色に変わつたのを認めたので時速を約三〇キロメートルに減速して約一八メトル余進行した地点で本件の衝突音を聞いたので、車を歩道寄りに寄せ、三ないし五メートル先のバス停の所で停止して見たところ信号は赤色を示していた、衝突音を聞いてから信号を見るまでは一秒か二秒であつたというのである。そこで、同人の供述を基礎として、同人が衝突音を聞いた時点と信号が赤色に変わつた時点との関係を考えてみるのに、同人の供述の趣旨からすれば、それは同時ではなく衝突と信号の変化との間に多少の時間があつたとみるべきであるが、衝突音を聞いてから同人の車が停止するまでに進行した距離と同人がその間の時間を一秒か二秒と感じたと述べていることなどを勘案すると、その時間を一秒未満と認めるだけの根拠に乏しく、むしろ高橋証人が最初黄色信号に変わつたのを認めた地点と衝突音を聞いた地点と停止した地点との各距離を比較して考察すれば、同人が衝突音を聞いたのは黄色信号表示時間のむしろ後半であつたと認めることができる。そして、かりに衝突から信号が赤に変わるまでの時間を一秒とみて計算すると、黄色信号のサイクルは前記のとおり三秒である関係上、被告人は黄色信号に変わつてから衝突するまで二秒間走行したことになり、その距離は秒速9.7メートルとして約二〇メートルであるから、前記衝突地点の位置からみると、被告人車が交差点の手前約五メートルの地点で信号が黄色に変わつたことになるが、このことは被告人が横断歩道上で信号が黄色であつたと終始述べていることとも符合するのである。そして、衝突と信号変化との間の時間がそれ以上長いとみると、かえつて被告人の自認とも反することになるので、その間の時間は右のように約一秒と認定するのが相当であると判断される。

ところで、本件事故発生当時の道路交通法施行令(昭和四五年政令二二七号による改正前のもの)二条一項の表の「注意」の項「信号の意味」の欄二号にいう「交差点に入つている車両」には、交差点または横断歩道の外側の直前において進め信号から注意信号に変わつたため、制動距離の関係で交差点内に進入してしまう車両をも含むものと解するのが正当であることは、最近最高裁判所第一小法廷が昭和四六年(あ)第一一〇〇号同四七年五月四日判決中で説示しているとおりであるところ、本件においては、前記認定にしたがえば東西の信号が青色から黄色に変わつた時被告人車が交差点の約五メートル手前にあつたと認められること前記のとおりであり、当時の被告人車の時速は原判決認定のとおり約三五キロメートル(同所の制限速度は時速四〇キロメートル)であつたと認められる以上、制動距離の関係からして交差点の直前で停止することが不可能であることは明らかであるから、被告人車としてはむしろそのまま交差点を通過すべきであつたといわなければならない。そして本件交差点の東西の長さが二つの横断歩道の幅をも含めて約二二メートルであることを考えると、交差点の手前約五メートルの地点から時速約三五キロメートルで黄色現示の時分内に通過しうる距離であることも明らかなところであるから、交差点の直前で停止しなかつた被告人の本件行為に別段過失の責むべきものがあつたものとは考えがたい。

以上の次第で、原判決は対面信号機が赤色の停止信号を示していたと認定した点においても、また被告人には交差点の直前で停止すべき注意義務があると認定した点においても事実を誤認したものといわざるをえず、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項・三八二条によつて原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において被告事件につきさらに判決するのに、被告人に対する本件公訴事実はすでに説示したところから明らかなように犯罪の証明がないことに帰着するから、同法三三六条により無罪の言渡しをすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(中野次雄 寺尾正二 粕谷俊治)

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